呪術廻戦展で単眼猫が他のマンガとかゲームとかの俗っぽいインスピレーションからだけ語ってたの、同世代として、マンガだけ読んでるとマンガ描けないとか、ゲームだけ遊んでるとゲーム作れないとか、そういうこと言われてた俺ら世代へのアンチテーゼだと自分勝手に解釈しておくぜ。
ゲーム遊ばないやつに気持ちいい手触り作れるわけもなくシナリオもって証明されたアフターだからね現代は。
まあともかく、芥見下々の作家性のコア部分って少年マンガやりつつ、キャラの感情の流れが自然ながら現代風にアップデートされつつ、そもそも質としても高かったとこっしょ。
上物がパク…オマージュまくりなのはともかく、元ネタを小説や映画に求めろっていう風潮に対しての反例。
そんなんよりウケるエンジンはキャラなんだよねキャラ。
本人があの時代の週少板の思考で凝り固まったのか矛盾潰し好きなのに(やれてるとは言わない)、自作はそこで叩かれてたのと変わらず設定にいくら穴があろうがキャラの感情が面白ければ気にせず読んでもらえて売れるっていう、いつまでも変わらないヒット作の根幹抑えて当ててるのギャップで面白いよね。
岩手領域が芥見下々から削り出された物すぎて次回作描く物残ってるんか、逆にジャンプで真に現代モノでメガヒット当てた作家がこれやる良さよ。
しかもなー2010年代後半連載開始だからよかったよね、10年前がインターネットに残ってるし、10年前からインターネットの同じとこに生き続けてる人がいくらでもいる時代、呪術が作者本人すぎる現代物で当たったの今の現代だからってのが絶対あるっしょ。
マジでよ!呪術のさぁ…ジャンプの看板少年マンガだけど現代で異能バトル物の良さが感傷でぶっちぎる良さとして成ったんだよ、過疎ってほどじゃねぇけど寂れててもびっくりしないで受容してたと定型句を打ち消す肌感覚のリアリティラインが大好きだったときの呪術の良さそのままなわけだけど、
さらに10万都市を全体的にグレーな田舎、郊外に緑もあるって最上の表現をこの世に産み出したの、これがジャンプで出来る作家力を持ってるのが芥見下々なわけですよ。
マジで地方都市で生きていたからこその現実の現代に即して出てる言葉がある、それなりに「街」になってる「地方都市」だっていう、現実を正確に捉えた自尊と諦観を、短くて、平易な言葉で、「表現」していて。
この繊細さとまるで反対ベクトルのノイズも無視できないほどバカでかく持ってるけど!そんなんじゃ覆い隠せない輝きを放ってるわけ。
持ってるコミックス全部初版だしアニメ化前の年末年始の短い期間にしかやってないような小さい原画展も行ったようなファンだから濃い色眼鏡は掛けてますけども。
呪展、デジタルなりの原画の見せ方をあの規模で考えてたの、やっと新時代って感じ色んな意味で。
3Dモデル使ってたの意外だったわ。トレスじゃなくてデッサン人形止まりだと描き上がり自然だね。ペンもジャンプらしい見た目になるの意図してるんでしょ、そういう作家がデジタル時代でも当ててるのが嬉しいわけ。
数週先のネームまで切っててアシスタントに先に背景とかだけ書いてもらう連載スタイルだったの、すげえデジタル時代の週刊連載のマネジメント!
遠景で背景とキャラの縮尺がおかしいコマがやたら多かった理由も納得。